アフィリするまでの私

こんにちは、seasonです。

ドキュメンタリの続きです。

大学は、神戸にある流通科学大学。

今はなき情報学部の経営情報学科に在籍していました。

PCを触る授業が好きで、

PCの授業を受けてからは、授業の休み時間は

ブラインドタッチソフトで

3ヶ月位ひたすら練習し、1分間に300字スピードで
入力できるようになりました。

PCには夢中になるも、サークルなどには入らず、

また語学クラスにいた女の子計4人とも、

表面的に接する程度。

典型的な根暗タイプ?だったのかもしれません^^;

その当時は人間関係の築き方すら分からなかったのもありますが、

その後はバイトをしだしてから少しずつ変わることになります。

1年のころは土曜日も必須の語学の授業があり、

バイトは前期は日曜日だけ出てて、夏休み集中型で働ける

淡路花博でのジュース販売をすることにしました。

そこにいたバイトメンバーは、大半が

「元ヤンキーでは?」と思うようなタイプ!

仕事が始まる前は、みんな輪になってしゃがんで

タバコをスパスパ吸ってるし、派手な性格だし、

こんなところでやっていけるんだろうか?

気絶しそうでした……^^;

とりあえず、「仕事を頑張ることだけ考えよう!」

そう割り切って、最初のころは仕事のことだけ

を考えていました。

そんな、ある夏休みのころにバイトメンバーから

「●●の家で飲み会するから、来てね!
そのまま泊まったらいいから」

と誘われます。

うまく乗り切れるだろうか。

でも、仕事の付き合いだから仕方ないかと

行くことに~

今までお酒とか、大学の新歓コンパでしか

飲んだことがなく、その時はチューハイ3缶飲んだら

二日酔いで気分が悪くなったことがありました。

今思うと、お酒の免疫ができてなかったからかも知れません。

今回の飲み会では、チューハイを抑え目に

日本酒やウィスキー、ワインをメインで飲むことにしました。

日本酒やウィスキー、ワインがどんなものか知らなかったからです^^;

何か濃いお酒だなぁ~と思いながら飲んでいました。

そしたら、今度は気づいたら頭がカナリ回りだし、

何故かテンションもカナリ高くなっていました。

「自分回ってるでしょ?ちゃんとまっすぐ歩ける?」

そんなことを言われ

「歩けますよ!」

と歩いて見せたりしましたが、何かギリギリ歩けてる

ような感じで頭がクラクラ…

その後は、部屋が暑くて外に出て寝転んでしまったり、

朝方は寝言を言ったらしく、バイトメンバーから爆笑されたり(恥)

「朝寝言言ってたで~!…はっはっはっ」

何か化けの皮が剥がれたというのか、

そんな言葉を聞いて、もう自分はマジメっ子ではないのかも?

いや、今までマジメな振りをしてただけかも?

まさに今まで無意識に作られていた見えない壁が崩壊した瞬間!!

それ以降は今まで遊んだことがない遊びも楽しんで

受け入れるようになり、人気関係の築き方で悩むことは

かなり減りました~^^

その当時人間関係の築き方が分からなかったのは、

勉強だったら勉強だけしか頭になく

ワンパターンな生活をしていて、新しい刺激が

入ってこず、話題性がなかったんだと思います。

おそらく、何か新しこともして脳を活性化させ、

自分の中の情報量も増やすことが大事なんだ~

と、ヤンキーぽい集団の中にいての意外な発見でした…

こんにちは、seasonです。

前回のドキュメンタリの続きです。

私は子供のころは、はっきり言って、「イケテナイ子」でした^^;

まず、アーティストのCDとか

誰からも買ってもらったことがありませんし、

買えるようなお小遣いももらったこともないです。

初めてCDを買ったのは、20歳の時だった程です^^;

また、母が厳しくてTVもあまり見せてもらえませんでした。

なので、芸能人とかアーティストとか知らない人が多いです。

関根勤という芸能人を、23歳になって初めて知ったほどですw

それを友達に言ったら結構驚かれたのですが、

有名か無名かもわからないので、

「そうなの?」という反応しかできなかったほどです。

そんな状態で学校時代乗り切れていたのか?

って言われると、あまり乗り切れていなかったと思います…^^;

特に高校時代は、周りの女の子は、アーティストとかドラマとか

好きな子が多いので、全然話題についていけなかったです…

高校時代は陸上部の長距離に所属していましたが、

部活か勉強の話題しかできない人だったように思います。

同級生とはあいさつ程度の会話はできても、

深い友達を作ることができませんでした。

中学時代、母からはしょっちゅうこのようなことを言われていました。

「お母さんは子供のころTVとかない生活をしてたけども、

そのおかげで勉強では特に困らなかったよ!

お母さんの兄弟6人とも公立高校にいったし、

●●のおばちゃんは高校時代、公務員試験も受かって

同時に神戸大学にも現役で受かったんよ!

結局神戸大学に進学したけど。

お母さんの言うとおりにしとけば間違いない!」

中学時代周りの友達がドラマの話をしてきたりするので

自分も合わせて見ようとしたことがあります。

でも、あまりにもしつこく母に止められるし、

連続ドラマの途中でTVを消されると、見たい気持ちを

押さえつけられ、苦しくなります。

結局、受験で成功するには、周りの同級生が興味を持っていることに

最初から興味を持たないようにするしかないのだと考え、

周りと馬を合わせられないのも、受験の関門を突破するための

必須要件と、途中で受けいれました。

この結果、高校受験は何とかなりましたが、

大学受験では第一志望の受験に失敗しました。

高校3年になってからは予備校に入って勉強もしたんだけども、

成績が思うように伸びませんでした。

結果的に、まだ音楽を聴いたり、ドラマを見ている子のほうが

自分よりもいい大学に入っていたりするのです。

何でこうなったんだろう…。

特に夏に部活を引退してからは、勉強に関係のないことは

していないはずなのに…

その当時は原因がよくわかりませんでした。

多分1人で頑張ろうとしすぎていたことと、

成績が伸びなくなっている根本解決ができていないまま

分からない問題を、ただ先生に聞いて

その都度教えてもらっているだけだったのかもしれません。

きっと、勉強の仕方を家庭教師のように見てもらえる

人が必要だったんだと思います。

この大学受験に失敗したときが、今までの人生で最も

鬱っぽかったし、一番死にたいと思った時期でもありました。

まず、ほとんどの人と仲良くなれる力がないし、

今更芸能人の名前と顔を覚えるにしても5年分ぐらいの遅れがあるし

そんなことにこれから5年ぐらいの時間をつぎ込む意味があるのだろうか。

2000年版芸能人辞典 みたいな辞書が売ってたら買いたいけど…

勉強でも失敗してしまったし、自分に残るものが何もない…

母は、私が受験に失敗して凹んでいることなどよそに、

毎日のように説教してきます。

悩みの相談をしても、逆切れされて話になりません。

この時一番欲していたことは、こんなことでした。

「自分と同じような境地に立たされていた人で、立て直せた人がいたら、
どうやって立て直せたかのプロセスを知りたい」

だけど、どんな本を読めば、解決できるのかすらわかりません。

どうやって立て直せばいいかわからないまま大学生になりました。

さて、どうやって立て直したでしょう。

次回にお話しします。

そうそう、そんな私と同じように

・仕事でなかなか成果が出ない
・いつも不安、プレッシャーに押されている
・失敗した場合のリスクばかりを考えてしまう
・自信がもてない

などといった悩みがあるならこのビデオを見てみてください。

どうやら「集中脳」に秘密があるそうです。

http://bit.ly/XheX0z

おはようございます。seasonです。

最近は東京しだして、毎日充実した生活を過ごしています。

やっと食料品を売っているスーパーを見つけ、生活基盤が

確立してきました。

メルマガ再開します♪

今回は私の今までの人生の歩みを紹介します!

————————————–

家族は、母、私、妹の3人。

学歴は小・中・高と地元の公立の学校を卒業し、
地元の情報系の三流大学に進学。

学力は中学までは中の上。高校では中の下の成績^^;

将来の夢や希望などは特になく、引っ込み思案な性格でした。

高校の科目の中では数学が一番成績がマシでしたが、
国語が大の苦手!

この国語の苦手さは、少なくとも読者のみなさんよりも
はるかに上です!

どれぐらい苦手か!?というと、

センター試験では国語の試験で200点満点中、52点(自己採点結果)
しか取れなかったほどです!

センターの国語は確か5択のマーク式の問題が殆ど!
全くのカンとか,目隠しで戦うのといい勝負ぐらいの結果だったのです(恥)

偏差値にしたら30もなかったぐらいだと思います…

こんなバカな人がSEOアフィリで稼げるように
なるんですよ!だから、皆さんもちゃんと正しい手法で
実践すれば大丈夫です!

結局大学入試は、社会と英語だけで入れる大学に入りました。

大学はなんとなく理系に近い勉強がしたいと、
情報系の学部に進みました。

高校時代、本当は理系に行きたかったけども、

母が「国公立に行け!」と迫るも国語ができず…。

どうすれば国語の成績が上がるのか見当もつかず、

理系でも国語ができなければどこの国公立にもいけません。

私立の文系か私立の理系を比較し、比較的学費が安く

つく文系に進まざるをえませんでした。

そのため、文系からでも進学できる情報系で

コンピュータ系のことを学びたいと思うようになりました。

これが後にIT系に就職するきっかけとなります。

続きは次回のメルマガでお話しします!

————————————–
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私は今後ブログ上でアフィリするにあたり、1つ自分の心に約束したいことがある。(独り言みたいなもの)

アフィリしていてうまくいかないこともいろいろ出てくるはず!
でも、「感情的にならずに腐らないこと!」

これだけは徹底したい。

実際お金で失敗して、心に余裕がなくて、焦りの気持ち?なのか、それが表に出てしまったことも過去にはありました。でも、そんな状態で今後のアフィリがうまくいくとは思えないし、今のうち直せるところは直したい。

そういう気持ちで、いろんな人と接していきたい。
感情的になって腐っても、何もいいことなんてないんだから。

2011年11月ごろから、情報商材のレビューワのサイトを見るようになりました。
そこで稼げるとうたわれてる商材に手を出したりもしました。

そこから1か月の間で3つの商材を買いましたが、3つとも1円たりとも稼げるようになっておりません。どうやら、そのうちの2つは賞味期限切れの商材で、あと1つは、SEOで正しい知識を知らなかったために、NGな手法を使ってしまい、圏外に飛ばされて、元に戻せなくなった、そんなサイトです。
SEOに関して正しい知識を持っていれば、多少は利益になったのかもしれませんが仕方ないです。

そんなこんなでストレスも溜まり、資金力も尽きてもがき苦しんでいる時に、ゼウス商材を見かけます。

SEOの教科書的な商材で、価格も2980円と、参考書レベル。

1日1時間で月5万円と、セールスレターを読んだだけで結構な作業量だと感じましたが、しんどい作業で稼げる優良商材と謳われているものの方が現実味があるかもしれないと、購入しました。

これが、私という人間が少しずつ変わるきっかけになったと思います。
それはゼウス・タイガーアカデミーのコーナーで紹介できればと思います。

2010年11月下旬にトレード塾を卒業から約1年経過時には、TOTALで1000万円の損失を被っていました。貯金が底を尽きてゲームオーバーになって、やっとやめざるを得なくなったというか。
実際数百万とか1000万も損をすると、一瞬で人生奈落の底に突き落とされた感覚を味わいます。口から血を吐くんじゃないかというほどの苦しみです。苦しすぎるので、一刻も早く楽になりたいと、わらをもすがる思いで投入資金が増えてしまう、そんな悪循環の罠にはまっていました。マジで死のうかと思ったですよ。死ねば早く楽になるんじゃないかと思ったりもしたし。。リーマンショックの時期に自殺者が増えたのもわかりますよ。株で大損して自殺した人もいるんですよね。でも経済界に影響がでて株しなくなる人が増えると問題だからって大きくは取り上げられない。そんな話。

トレード塾で勉強した人間なのに、損失額は放物線のごとく膨れあがっていくという…。

この原因は何かを考えてみた。

1.親が途中で株の勉強を一緒に頑張ってくれなくなったこと
2.トレード塾はサイト上で一方的に講義を動画や文章で勉強するだけで、一緒にトレードをする仲間がいなかったこと
3.トレードの検証記録をマメに着けていなかったこと

この辺かなと思います。
最初は塾で親と一緒に勉強を頑張れると思っていましたが、塾の講義を動画で一緒に聞くことはあっても、親は一切実践しませんでした。この結果、「そこで投入資金を増やしたらダメ」とか「そこで買ったらダメ」とか、忠告してくれる人がいない状態のままやってしまったのは大きな敗因です。

トレードもサイト上で一緒に情報交換しながら頑張れる仲間がいるかどうかも大事だと思います。でも、例のトレード塾では多額のお金を払えば、そういうコースもありましたが、そのコースに入った人でも稼げるようになる人は、10人いて2人前後ぐらいのようです。メンタルのコントロールって一言で言っても、株で儲かるだけのメンタルコントロールって相当難しいです。売りたくなくても売らないといけなかったり、買いたくなくても買わないといけなかったりしますから。

検証記録は詳細につけなければ、株で成功はありえないでしょう。これを付けるのも相当大変です。
負けた記録だってちゃんとつけないといけないですし、むしろ負けの記録のほうが多くなったりしますから、精神的につらいです。

株は失敗すると、取り返しがつかなくなるリスクがある分、余計に難しい世界ですね。お金を稼ぐということは株であってもビジネスです。相手はそれで食べて行ってるヘッジファンドや機関投資家だったりしますから、簡単に勝てるわけがない…。

そんなわけで、2年前に親が軽い気持ちで株を勧めたことで、私は2年の時間を無駄に過ごしてしまいました。そして、これからアフィリで取り返さなければいけないとなると、あと何年かかるんだろうと途方に暮れそうです…。お金の絡むことをお勧めするときは、気を付けないといけないことですね。

「お母さん、私がもっとまじめな子だったら、自殺してたかもしれないよ」
と心から思います…

また、すすめられた側も、相手が親であっても論理的に考えて見込みがあるかを考えなければいけないと痛感した出来事でした。

株のトレード塾に入り、半年間実践しながら勉強します。

株で成功するために必要なのは3つの要素と教えられます。
・売買ルールを守る
・資金管理をする
・メンタル面をコントロールする

なんだ、そんなの、あたりまえじゃないの!?

と思われそうですが、その当たり前のことが、株をやってるうちにできなくなってくるのを体感しました。

三角持合いだの、サブトレンドラインだの、テクニカルなことは学んだし、それを実践して利益が出たトレードもありました。
私が入塾したころは日経平均が下降トレンドに差し掛かったころで、塾に在籍中に上昇トレンドにはなりませんでした。もちろん空売りの手法も学んだし、それがうまくいたこともあったけど、とても難しい相場の中で練習をしないといけなかったし、やればやるほど損が膨らむので、結局塾を卒業したころは、損失額が100万ぐらいになってたと思います。

最初はルール違反する気なんてなかったのに…
やってもやってもうまくいかない…

株で学んだテクニックはすべての相場において機能するものではないことは、頭ではわかってても腹に落ちなかったようです。2,3割の成功確率でもトータルで稼げるようになれば、勝ち組になれるのに、心からその考え方になれなかったようです。株は自分の性格にあってなかったですね。
株で稼げるようになる人って、全体の1,2%らしいですね。

だけども、今まで株に費やしてきた時間、投入資金を考えると簡単には引けず、次第に自分はギャンブル依存症になっていきました。

2009年5月に心療内科に通いだしてから、半年後の11月末ごろ、完全とは言えないけども、記憶力&思考力&集中力が回復してきました。
その翌月の12月、失業保険の受給が終わったため、そろそろアルバイトをして、頑張ろうという時期でした。
毎日のように脳トレの問題集を問いていたころ、親に「脳トレなら株がいいんちゃうか!?」とすすめられました。

母「株がいいぞ!失敗しないように神経を働かせようとするから、いい脳トレになる」
私「やっぱり株はやめとくわ。」
母「何でよー?」
私「でも儲け方知らないし…」
母「お母さんが教えたるやないの!」
私「でも、儲かってない人に教えてもらっても儲かるわけないし」
母「いや、もう絶対に失敗しない!だって20年も相場を見てきたから」
私「でも全然儲かってないやん?」
母「今まで儲かってないのは証券会社に騙されてきたからや。もう騙されない!ほらほら、見てみて、株はここを見ておくねんで!…」

と、自信過剰に信用倍率だの、業績だの配当だのいろいろ指標を言い出して、こちらに興味を持たせようと必死!
母「株で損をしてる人はこの辺のことを何も知らない人が多い。知ってたら稼げるようになるのに。今まで証券会社にさんざん騙されて、それでお母さんも勉強するようになった」
私「じゃ、今から稼いで見せてよ!」
母「パソコンが使われんから、無理やわ。パソコンさえ使えたら絶対稼げるようになるのに~!」

という。

じゃ、ここまで言って株をしなければ親不孝になるのかな?と思い、翌年2010年1月から株を開始しました。

最初は親に勧められた株を買ったりしていました。
しかし、親が進めて買った数日後には株価は下がり続け、損切することに。
その後2年以上たった今でも元の株価には戻っていません。
最初は少し利益が取れたりもしましたが、ここでその利益を大幅にひっくり返す損失が出ました。

ここで、親の言うことをまんまと信用して株をやってしまった自分が悔しくなり、正しい知識を身につけて稼げるようになりたいと、株のトレード塾に入ることになります。
やはり、パソコンも使えない人が株で稼げるようになんてなるわけがないのです。
パソコンの基本操作ができるようになる人と、株で稼げるようになる人の数ってどっちのほうが多いと思いかはわかりますよね?

「パソコンを10年やったけど基本操作すら今だにできないんだよ」って人、そんなにたくさんいるかな!?

私は大学時代にVBやCなどのプログラミングを学び、その延長でIT業界に入りました。
正直IT系でうまくやっていける自信はなかったけども、PGとして開発すること自体は楽しかったし、このまま同業他者の人たちと情報交換しながら、可能な限りスキルアップしたい。
そんな気持ちで働いてました。

だけども、仕事の要領は悪いし、色々といけないような失敗もしたし、後輩を傷つけるような態度をとってしまったこともあったし、何年たっても仕事への自信がつかない自分がいました。今考えれば、自分のなりたい姿をちゃんと描けなかったことと、自分の理想の姿に向けて論理的に考えながら努力する方法すらわかってなかったように思います。

2008年9月か10月ごろ、世界的な不況でリーマンショックが勃発!会社の経営も傾き、翌年2009年5月に私はリストラになりました。

前々からこの会社にいても、将来性も感じないし、自分のキャリア面でも自信がつかないと思っていたし、それはそれでいいきっかけでもありました。
しかし、転職活動がしづらい時期で、かつ、このままIT系でやっていける自信すらあまりなかったし、今後の進路をどうすべきか、路頭に迷うさなかでした。

親はこの状況を見て、私がうつ病になりはしないかを心配し、私は心療内科に連れて行かれることに!

そこでもらった薬の副作用がきつくて、私は次第に記憶力&思考力&集中力が失われ、自力で買い物もできないぐらいの病になりました。
診断結果はうつ病ですが、今思うと私はそこまで勉強など努力してなかったし、同期と旅行に行きまくって遊びほうけてたし、薬が合ってなくて病気になったように思います。
結局薬を変えても、日に日に記憶力&思考力&集中力は失われ、様態が悪くなる日が続き、自分はこのまま死ぬんだろと思っていました。

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